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若月先生とプライマリ・ヘルスケアー長野モデルについて―


 佐久総合病院二代目院長若月先生がお亡くなりになり、今年20年目となります。
 先生は、1945年まだプライム・ヘルス・ケアの概念もない時代、ベッド数20床の佐久病院に外科医として赴任されました。1959年からは冬の外気温がマイナス10℃を下回る当時の八千穂村に自ら出向き全村民を対象に「全村健康管理」を開始しました。保険制度の転換により窓口での支払が困難となる地元民の困窮もあって、治療よりも予防が大切と舵を切り健診事業を開始されました。これは1978年WHOとユニセフのカザフスタンで採択されたプライマリ・ヘルス・ケアに対する「アルマ・アタ宣言」の20年近い前でした。また結果を個人に反映するための保健指導のシステムを構築しました。
 その結果八千穂村での老人医療費は全国平均より4割近く減り全国から注目され更に1997年国民健康保険中央会の報告書が転機になりここから「長野モデル」として全国へと拡散されます。しかしながら要因の間に明確な因果関係が認められなかったこともあり後の2008年第57回農村医学会での報告では、長野県は民間医療機関が少なく医療供給体制が公的機関に頼らざるを得ないのが現状で当時長野県の平均年齢は全国平均男性1位、女性の3位ながら老人医療費が全国平均の8割とされ理想モデルとされていましたが、これらはシステム構築されたものでなく、医療従事者一人一人の崇高な理念によって採算度外視してまで必要な活動を行ってきた結果と結んでいます。少なくとも今までの健康長寿長野県の成果は県医師会皆様や看護師含めたコメディカルの皆様のたゆまぬ努力の結果だと存じます。しかしながら当時でも地方の医療崩壊に警鐘を鳴らし国に対し正しいアプローチの必要性を提案しています。少なくとも長野県医師会の活動はこれまで全国の保険診療では、成功例であろうと思います。我々はもう少し声高になっても良いのではないでしょうか。