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世界恐慌
―国際協調の終焉とその後―


 昭和初期は、世界の経済が不安定で、国際的な不安が広がりました。世界的な株価大暴落に端を発した不安ドミノが世界恐慌を誘発。
 各国はブロック経済を敷き自らのブロック保護(自由貿易の衰退)に走りました。世界がブロック経済に移行すると、日本・ドイツ・イタリア等の工業国は大打撃を被り、ドイツ・イタリア共に国家利益を優先するファシズム(全体主義)に傾きます。日本は輸出入政策の失敗・冷害からデフレ不況となり昭和恐慌に突入します。恐慌脱出の陣頭指揮が高橋是清大蔵大臣。是清は金輸出禁止・低金利・財政支出拡大を計り早期の恐慌脱出に成功しました。実は、この成功後に財政引き締め政策の一環として、軍の予算削減に転じた頃から軍の怒りを買いおかしくなります。世界恐慌で資本主義諸国が苦しむ隙を狙ったように、個人の自由を制限して全体の利益を追求する全体主義国家が頭角を現します。イタリアのファシスト党・ドイツのナチス、スターリン率いるソ連は国家権力が経済統制し、世界恐慌の影響を軽微とし、自らの政策に自信を深め全世界の共産化を進めます。日本では、先ほどの軍部不満の経緯、二・二六事件や盧溝橋事件から支那事変に突入しました。世界の混乱や軍部の不満を背景に昭和13年に『国家総動員法』が近衛文麿内閣で成立。戦時体制に入って行きます。支那事変は国際的非難をうけており、東京オリンピックの開催辞退に追い込まれます。
 以上の発生日、人名、国名、体制、経済状態、事変名(????・人権・コロナ含む)、を変えれば現在にそのほとんどが通用します。サーキットブレーカーやネット情報等の先進システムを携えた現在、過去の失敗を繰り返さぬよう、注意しつつ日本人のプライドと意思を持って他国の動向を見ていきたいと思います。