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日清日露戦争当時の事
―歴史認識―


 明治天皇の詠まれた戦争を憂う御製です。
『よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ』

 清は当時、世界第二位の経済大国で日本の約五倍の経済規模を誇っていました。当時のロシアは不凍港等獲得の南下政策を進めていました。南下と言うより、海を目指していました。清・露領土の遥か上空から見える南東方面にはきっとヨダレが出そうな位に、美味しそうに見えた太平洋が広がります。太平洋との間には、目障りな堤防かテトラポット・砂丘程度のインパクトで千島樺太?日本列島?尖閣?琉球?台湾と続きます。この、地政学的配置の基に歴史は動きます。義和団事件は1900年(明治33年)清国内で外国人排斥を叫ぶ群衆が北京の各国公使館を包囲。西太后が群衆を支持して欧米列強に宣戦布告。勿論、日露共、列強側に加担します。各国ともに清の降伏を確認後撤退しましたが、南下したい(清も海も欲しい)露は満州に居すわります。このことが、日英同盟の発端となります。当時の深慮遠謀の外務大臣が小村寿太郎。列強による植民地化の影響で、アジアにおけるアジア人の独立国は、日本・タイ・オスマン帝国のみ。当時の力学的国際関係は、日英同盟と日本支持のアメリカ、対して、露仏同盟と露支持の独伊墺(三国同盟)となります。
 当時も今も、地政学的背景が変わらないので、状況も変わりません。どう対応するかの問題です。その時々で日本を支持する国も変わります。現在は香港・台湾・ウイグル・チベット等の人権問題やジェノサイド等を背景にG7共同宣言・クワッド(アジア版NATO)・各国との2×2協議等良好な対応と考えます。一方で富裕国対貧困国の構図問題が横たわり、対応を見誤らないように願います。そして、信頼できる国をきちんと判断できる日本国でありたいと思います。
参考文献 令和書籍版 
令和2年度文部科学省検定不合格教科書
主筆 竹田恒泰