TOP > 長野県にお住まいの皆さまへ > 長野県医師会の活 > けんこうの小径 > 若里だより > 特養ドーナツ逆転無罪に思う
―裁判の趣旨はわかりますが…―

特養ドーナツ逆転無罪に思う―裁判の趣旨はわかりますが…―


 事例は特養入居者の女性(85)がおやつのドーナツを食べた後の窒息死亡事故。業務上過失致死罪に問われた准看護師に対し、松本地裁一審の有罪判決を東京高裁はこれを破棄して無罪とした。極めて妥当な判決でこれを支持したい。医療や介護は通常の日常生活が困難(日常生活そのものが命にかかわる)な方々と接する機会が多い。食事・排泄は明日を夢見て生きようとする生理的欲求であり、これを否定すること自体が尊厳の冒涜となる。この前提で考えねばならない。また、原告側はそもそも事故が起こったから近隣にいた人間の責任追及をしたいだけであって、事故がなければ、生理的欲求に基づく普通の生活動作となる。この点どう考えているのか?そしてこれを起訴した検察側の、現場の現実を知らない大野病院事件以来の非常識を指摘もしたい。大熊裁判長の判決理由は『窒息の危険性が否定しきれないからといって食物の提供が禁じられるものではない』『食事は精神的な満足感ややすらぎを得るためにも有用かつ重要』であり、食事そのものの持つ危険性を指摘しつつその必要性にも触れ、現場に広がる不安・動揺を和らげた。
 現場の安全確保の問題が提起された、とメディアは論ずるが、メディアには医療も介護も実践は出来ない。我々専門家が真剣に実施中の悲しい事故である。このような悲しい事例は食事中のみならず、トイレ歩行中などの日常動作中にも突然発生する。少子高齢社会では今後もこのような事例の発生が危惧される。現場におけるそれぞれの行動規範・ガイドラインに基づく医療介護の実施を望みたい。
 今回の判例は今後の現場活動に大きな意義を持つと考える。名判決を読み替えてみた。
『医療介護提供の危険性が否定しきれないからといって医療介護の提供が禁じられるものではない』『医療介護は精神的な満足感や、やすらぎを得るためにも有用かつ重要である』
となる。