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八王子と健康の神ー命のバトンー


 聖武天皇の母、藤原宮子【不比等の娘】は701年大宝元年に首(おびと)皇子、後の聖武天皇を出産したが、産後に精神障害おそらく産後の鬱病を起こし「幽憂に沈み久しく人事を廃す」状態となる。続日本紀。息子聖武に面会はじつに36年後となる。鎮護国家の宗教として時の権力と結びついた仏教が、行基などの活動によりしだいに庶民に広まり、日本の精神文化の支柱となっていく。全国68か所に及ぶ病からの守りと軍事警察機構としての国分寺・国分尼寺建立の礎となる。上田市にある信濃国分寺は建立の詔勅(天平13年)により1300年の歴史が刻まれる。寺の所蔵する、「牛頭天王之祭文」(ごずてんのうのさいもん)には蘇民信仰の起源と全国に広がる牛頭天王・八王子の由来を見ることができる。牛頭天王は神仏習合に見られるスサノオノミコト薬師如来そして帝釈天の神々と同一視又は先立つ神とされる。信州上田地域には鳳凰で飾られた山門、多くの宗派の寺、アメノウズメ・コノハナサクヤヒメに連れられ高天原への架け橋となる生島足島神社、200を超す民話伝承などから神仏習合文化を見受ける。八王子は生広・魔王・?摩羅・達你迦・蘭子・徳達・神形・三頭天王の八人。身体各部を生殖器まで含め八つにわけてそれぞれの守りの王子とする。
 牛頭天王・八王子の由来は全国に様々ある。神道仏教それぞれに健康の神仏はおわすが、その以前からの命の確保の信仰の対象であったことが興味深い。